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三輪眞弘
「夏八景」の夢
僕の「テクノロジーと音楽」に関する知識はもっぱら戦後の電子音楽やミュージック・コンクレートに始まる電子音響音楽の歴史、つまり、「録音された」人工的な音響や具体音などを編集、加工して(当時は録音テープに)定着される「音楽」としてのそれだ。テープレコーダーが使われる前からラジオ放送が始まっていたことは知っていたが、そのような録音技術が現れる以前の「夏八景」の制作は一体どうしていたのか。・・録音はできないけれど放送はできるという状況においては「スタジオ・ライブ」をするしかなかった。そして、今回のイベントのチラシに載せられた写真はまさにその様子を伝えたものだろう。そこで、ぼくが素朴に考えることは「夏八景」の制作者たちはこのラジオ放送のための「番組」をどのように捉えていたのかということだ。言い換えると、一回限りで過ぎ去っていく放送の時間経過を「聴覚のための純粋な芸術」として表現しようとした情熱とは何だったのか。・・それは「あり得るかもしれない時空間を人為的に創造し、放送を通して共有する」ことだったのではないかと思う。 |
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柳沢 英輔(フィールド録音作家)
NHKの電子音楽のルーツ、昭和5年放送の「夏八景」を立体音響により再創造するというイベントに参加した。観客を取り囲むように設置された8台のスピーカーから、檜垣智也氏と清水慶彦氏が梗概を手がかりに作曲された音が順番に流れる。両者の作曲手法は対照的である。清水氏はフィールド・レコーディングを加工・編集して曲にするサウンドスケープ・コンポジションを、檜垣氏はすべて生成AIにより出力された音声を用いた作曲である。清水氏からフィールド・レコーディングの苦労(動物がなかなか鳴いてくれなかったり)や現代的なアレンジ(当時の尺八の代わりに清水氏の奥様が日常的に家で練習しているバロックフルートの音を録音して用いたり)が語られた。また檜垣氏は、納得のいく音が出力されるまで、何度もプロンプトを調整しながら生成AIに指示を繰り返したという。生成AIはやり直しができる分、一発勝負のフィールド録音とは異なり、ある意味で終わりのない作業であった。 |
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嘉ノ海 幹彦(元ロック・マガジン編集/FMDJ)
「模倣(ミメーシス)としての「夏八景」によせて」
電波信号を介したラジオ放送は1900年カナダで音声の送受信をもって始まるといわれている。1920年アメリカにおいて公共放送が開始されるが、のちに電子音楽やテープ音楽の中心地となるアメリカだったというのは偶然ではない。ヨーロッパでは19世紀末西洋音楽が行き詰まりをみせ、響きを中心とした具体音に活路を見出そうとしていた中で、古代ギリシャの純正律の構造に気付いたアメリカの作曲家は独自の音響実験を始めていた。楽器そのものを創作したり、テープ装置を楽器として使ったり、電子装置から響きを取り出したり、新興開拓地であるアメリカにはそのような実験音楽が生まる土壌があったのである。 |
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金崎 亮太(電子音響音楽家)
約100年前、「純粋ラジオ芸術」という言葉のもとに、音によって景色を立ち上げようと試みた実験的な先駆者たちがいました。 |
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